津駅西口での集合写真!さぁスタート

高田本山駅跡付近の志登川付近には沢山の遺構があります。

 イギリス積み 煉瓦を長手だけの段、小口だけの段と一段おきに積む方式

横川へ移動し、こちらでも遺構があります。研究会の皆さんは凄い!

天白駅跡付近 三渡川橋梁跡 橋台の段差があり、低い箇所には鉄製の主桁が設置されたと考えられる。



雲出川に架かる水道橋の橋桁は伊勢電気鉄道時代のものをそのまま利用されている

雲出川につながる場所には築堤があり徐々に勾配があ。桜の時期は最高な場所。

結城神社で食事 梅も見事に咲き歓迎をしてくれた。こちらで美味しい弁当を!

掛け紙は奥井宗夫さんにご協力

伊勢電のメインと言っても過言ではない岩田川橋梁。鉄道が配線後は道路橋になる。老朽化で間もなくすると姿を消します。研究会の皆さんは熱心に意見を交わされていました。

橋桁には刻印があり歴史を物語っている

八幡製鉄所


津新地駅跡付近と安濃川橋梁跡

あなたも研究会に入りますか…。
道路と住宅の間にある境界(近鉄マーク)
とうせばし

そしていつかは研究会の有志でめぐる廃線シリーズで「中勢鉄道跡」へ

特急南紀と遭遇

鮮魚列車のツアーにも遭遇

ご参加されました皆さんありがとうございました。有志での廃線シリーズは何方でも参加可能ですので、お気軽に参加ください。

次回は3月31日㈰の「伊勢電気鉄道 廃線跡めぐりオフ会」  残り席わずか

4月14日(日)「橿原市 小房線&畝傍駅貴賓室&奈良今井町など 廃線跡めぐりオフ会」 募集中

参加されました方コメント

三重県 の発展に寄与し近鉄に吸収された 伊勢電気鉄道 。江戸橋ー大神宮間は廃止され近鉄道路となっていますが、随所に遺構が残っています。今日は鉄道史・鉄道のエキスパートがガイドするツアー前編、一身田ー雲出川橋梁間を探りました。参加者もエキスパート揃いなので敷地の形状・地形・歴史などの知識から次々に痕跡を探り出し解説してくれました。通り過ぎればただの古い橋「津興橋」も、解説を受けると伊勢電気鉄道の最大の遺構で八幡製鉄所の刻印や空襲跡なども間近に見られる貴重な物だと理解できます。 あの時、熊沢一衛が崇敬する伊勢神宮でなく名古屋を目指したら伊勢電気鉄道は生き残り今の近鉄は無かった。簡便に作った線路が生き残り、立派に作った方は廃線になる。歴史の不思議と皮肉とドラマも教えて頂き感激。津は近代史もドラマに溢れています。

鉄道愛好家有志のみなさまと「伊勢電気鉄道 廃線跡めぐりオフ会①」に「特別掛け紙」の「元祖特撰牛肉弁当」をご用命いただき、仕事の都合で前半戦だけ参加!!
企画立案の福原さん、瀬崎さん、福田さんの3人の丁寧な下調べと下見のおかげで、たいへんスムーズにツアーが進み、さらに、参加のみなさまも鉄道に造詣の深い方々が多いので、歩きながら、それぞれのみなさまの知識のご披露と意見交換で、ツアーが10倍面白い!!!!
実は「文学部史学地理学科」卒での歴史と地理好きなワタシ、それぞれの廃線跡に、めちゃくちゃ興味津々。。。。
雨パラパラ当たることも気にならず。。。半分だけ参加させていただき、後半の行程に心残りながら、併走の駒田号に乗せていただき、JR六軒駅から帰路につきました。
ご参加のみなさま~~ご贔屓たくさんにありがとうございました~~~おおきにぃ!!!
やっぱり鉄道は楽しい!!!
次の2回めも、期待高まり~~~待ち遠しいです(^^;)

伊勢電廃線ツアーに参加してきました。
ご参加の皆さん、BOSS、瀬崎さん、福田さん、運転をしていただいた田中さん、追っかけカメラマンをしていただいた駒田さん、美味しいお弁当をいただいたぴーちゃん社長、朝お見送りいただいた青木さん、本当に楽しい一日をありがとうございました😊
31日も楽しみです🎵

●3月17日
三重県津市、伊勢電気鉄道伊勢線の廃線跡を辿るオフ会に参加しました😃✌️ 旧一身田町駅周辺~旧天白駅周辺。 
私は、マイクロバスの運転としてのお手伝いをさせていただきました。
広報の福原さんと瀬崎さん、そして友人の福田さんが幹事で、下調べと資料作り、そして現地案内解説と色々されていました。また、松阪より、三重県で唯一の駅弁販売の新竹商店社長、新竹さんによる牛肉弁当の配達とオフ会参加、緊急時の活用にと友人の駒田さんのこまだ号、5人様の本当にご苦労と感謝を申し上げます。
写真では、畑や橋脚跡だけしか見えませんが、
津市内から伊勢市内まで、伊勢電気鉄道→近鉄伊勢線と会社は変わり、50年以上前までは全て鉄道が走っていました。
だいぶ鉄道遺産が失われていくことを感じさせます。
晴れたり、曇ったり、本降りの雨が降ったり
色々な天気でしたが、
廃線跡を辿るのもとても楽しいです😉、
皆様ありがとうございました☺️

建築・土木関係のものというのは、つくるのはもちろんたいへんですが、人為的に壊すのもまたたいへんなんだそうです。風水害や火災とかで壊されるというのは、つまり自然の力がそれだけ強い、ということを意味する訳です。かつてレンガ造りの国鉄三ノ宮駅舎をターミナルビルに建て替えるため壊すことになったのですが、あまりに強固な構造だったため、設計図を見ながらでないと壊せなかった、と言いますから、特に戦前にできた構造物は本当に頑丈なようです。
なので、人はいらなくなったものは後で支障がないなら放置しています。それでも長い歳月を経る中で朽ちたりするものですが…。
鉄道は、街に対する影響がことのほか大きいもので、線路を境に町名が変わるというのはごく一般的なことです。これが廃線になっても、派手な区画整理がない限り町境が変わらないことも多いため、随分前に廃線になった鉄道がどこを走っていたのかすぐにわかったりします。
三重県津市を縦貫するように走った伊勢電気鉄道は、後に近鉄に合併され、現在の名古屋線・鳥羽線ができて旧線状態となってから廃止になったとのことですが、それから既に半世紀以上。それでも今なおしっかりとした遺構があるというのは、都市化が緩く田園地帯もまとまって残っていたり、開発が隅々までという必要もなかったゆえかと思います。
昨日はその遺構を巡る企画に参加しました。
放置された橋桁は、そのような環境から撤去されなかったと思いながら眺めましたが、現地で「近鉄道路」と呼ばれる廃線跡を活用した道路が岩田川を越える橋は、ガーター橋をそのまま転用したもので、これにはびっくりしました。鉄道の鉄橋というと、線路を守るように柵のようなものが連なるイメージがありますが、まさにそのまま。さすがに老朽化で架け替えられるようですが、実は地図上に橋の名前がありません。俗に「津興橋」と呼ばれているものの、欄干がないため、名前の確認ができないゆえかと思います。廃線跡の転用道路で橋があったとしても、せいぜい橋脚を活用する程度だと思う中で、そこそこ交通量の多い橋が鉄道橋の構造をそのまま残しているのは珍しいと思います。
駅をきめ細かく配置して市内電車的な存在になっていたら存続できたかも…。そんなことを思いながら巡りました。
セッティング、またいろいろご教示いただいたみなさんに感謝します。

津の歴史と不思議
津新地駅から北は単線、南は複線。名古屋方面より伊勢神宮方面の方が高規格。なぜ?八幡製鉄所の刻印が残る津興橋に聞いてみた。
全国各地から鳥居⛩や灯籠の寄進が連なる丸山神社と中勢鉄道橋台。お金持ちが多いから地元資本で鉄道を敷けた。このお稲荷さん、参道は目立たないのになぜ全国から崇敬されるの?
今は消えた阿漕駅の木造駅舎はなぜ立派だったの?
まだまだ知らない事だらけ、深い津の秘密。平氏発祥の地ですからいろいろありそうです^_^