5月29日「近鉄はなぜ大和を目指したのか」元名物広報マンが語る 短期講習会を開催! 満員御礼の総勢70名の参加で賑わう!急きょ、大きな会議室3つを使用しての講演となりました。

日本一路線の長い私鉄である近畿日本鉄道株式会社は、奈良県中南和エリアで最も利用され、地元に愛されている鉄道です。

初の近鉄文化サロン阿倍野で講習会を行いました。元近鉄社員でありながら、近鉄百貨店の文化サロンからは講師の依頼が無く、他の名鉄カルチャースクールやNHK文化サロンでは何度か出演依頼があり、遂に近鉄百貨店よりお話しがありました。

「元近鉄名物広報マンが語る『鉄道開業150周年記念 関西の鉄道 歴史とおもしろ裏話~近鉄はなぜ大和を目指したのか~』」

明治維新以降、急速な近代化を進めた日本。わずか20数年で鉄道や電話、郵便といったインフラを整備が進みし、綿糸や生糸の大量生産・大量輸出を始めるなど、産業革命が起こりました。短期間にここまで発展できたのは、江戸時代に育まれた高度な技術力があったからです。

過去に何度となく大和地区の鉄道研究をし鉄道知識を元に、「なぜ各鉄道会社が競って大和(奈良)に線路を敷いたのか」という鉄道の歴史を紐解いて説明をしました。

高さ642mの生駒山の存在が奈良の鉄道に与えた影響や、生駒越えと並ぶあの「難所」にも触れそうだ。たとえ鉄道に詳しくなくとも、歴史学・地理学(地誌学)に少しでも関心があればと、資料作りをし本日に臨みました。お陰様で沢山の皆様に楽しく説明では感謝しています。

その地域になぜ各鉄道会社が競って線路を敷いたのかを詳しく説明します。
これまでの奈良県内の鉄道史から、3月デビューした「あをによし」についても紹介します。

   1969(昭和44)年に2両編成20本、計40両を製造された。その後も1970(昭和45)年の難波線や鳥羽線の開業および志摩線の改軌完成に伴い、難波~賢島間特急運転開始時や、大阪万博輸送などに対応するため1976(昭和51)年まで増備が続き、近鉄最多の166両が保有された。